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海外の国際ワークキャンプ

SCIの支部がヨーロッパ、アジア、アフリカなどで主に夏を中心にワークキャンプを実施しています。現在実施中のワークキャンプは世界のSCIやパートナー団体のワークキャンプは、https://workcamps.sci.ngo/icamps/  で検索できます。

1)検索用ページ中央の [Select] を開き、[Japan] を選択して[Go]をクリックしてください。

2)[Voluntary Projects Database SCI Japan] というタイトルが出ますので、そのすぐ下の右端の[Search] をクリックしてください。

3)後は [Please Set Your Search Criteria] で希望事項を選択してゆけば、ご希望のキャンプが日付順に表示されます。

関心のあるワークキャンプがあればSCI Japanまでお申し込みください。

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国内の国際ワークキャンプ

[金澤農場ワークキャンプ]:金澤農場は、栃木県矢板市にある無農薬循環型農業を行う農場です。元保育士の金澤さんは、保育園で1980年代頃からアトピーに悩む子ども達が増えていることを実感しました。そして、次世代の子ども達のために何が出来るかと考えてたどり着いたのが、食であり、その食を支える農業でした。金澤農場では、農薬、化学肥料を一切使わずにお米、野菜を育てています。また、畑にある雑草を含めた天然の飼料を平飼いの鶏に与え、フンを田畑に還すという循環型農業を行っています。ワークキャンプでは、田畑の草取り、朝晩の鶏の世話、野菜の植え付け等の農作業をお手伝いします。

[すぎのこ村]:すぎのこ村の伊藤さんは、国際NGOでアフガニスタンに駐在した経験があります。現地の平均寿命が50代であることを知り、自分の生涯でできることを意識し始めたそうです。その中で、足元の日本で平和に貢献したいと思い、帰国後すぎのこ村を立ち上げました。SCI日本とは、本支部のプロジェクトの1つである東アジアキャンプに共感され、関わりが始まりました。すぎのこ村でのワークキャンプは、若者の移住による地域の活性化と地域の外国の方との交流を目的としています。場所は山口県萩市川上野戸呂すぎのこ村にて、期間は2日〜2週間です。ワーク内容は、廃校や空き家の修繕、休耕地の保全、ヤギ飼育のための牧草地の整備、畑の植え付け、草刈りなどをお手伝いします。

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SCI日本とSCIバングラデシュの共同プロジェクト

[ランガバリ母子健康センター]:2007年11月、巨大サイクロン「シドル」がバングラデシュ南部を襲いました。このサイクロンはバングラデシュ史上、最大級のものであった、とされています。2007年12月と翌年2月に被災地の一つ、ランガバリにて2つの復興支援ワークキャンプが実施され、世界各国からのボランティアがワークキャンプに集い、日本からも3名が参加しました。2008年にはSCIバングラデシュ支部と日本支部が共同で現地のニーズを確認するための現地調査を行いました。その結果、避難施設とともに、医療サービスや医薬品が乏しい僻地であるランガバリに、ロータリークラブの支援を得て、2017年にサイクロンシェルター兼母子健康センターを開設しました。以来、現地ではバングラデシュ支部が中心となって年1~2回の医療キャンプを行っています。しかし現在も、医療活動の支援や施設の維持のために多くのボランティアと資金が必要な状況です。

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長期ボランティア

 3ヶ月以上滞在し、ボランティア活動をする人のことで、 LTV(Long Term Volunteer)とも呼ばれます。このLTVがいるのがSCIの大きな特色のひとつです。LTVのプロジェクトや募集は、Long Term Volunteering で検索できます。

 ただし、SCIでの長期ボランティアへの参加は、基本的にSCIのワークキャンプ経験が条件です。SCIの長期ボランティアに行く場合、SCI活動について深く理解した上で行っていただきたいと考えています。長期ボランティアに行く前に、1度SCIのワークキャンプ(国内、国外どちらでも)にご参加下さい。

voice

参加者の声

最近の参加者の声

『フィンランドでのワークキャンプ』(2022)

30代で初めて国際ワークキャンプというものに参加しました。元々、建築の調査でフィンランドに居たのですが、もっとフィンランドの文化を学びたいと考えワークキャンプに参加することにしました。参加してみると、若い内からこのような活動に参加できていたらと思うほど、とても充実した良い経験となりました。私が参加したのは2つのワークキャンプです。1つは子ども達がフィンランドの伝統的な遊びを学ぶ施設で、朝から夕方まで子ども達の学びをサポートしました。もう1つは村の水道整備を手伝いました。それぞれ2週間ほどでした。それぞれのキャンプで、フィンランドのボランティアをはじめ各国のボランティアと共に働き、暮らすという経験は本当に貴重なものとなりました。特に仲が良くなったボランティアとワークキャンプ後にも旅をしました。社会人になり、出会いが少ないと感じている私にとって、このように世界中から集まるボランティアと出会い、新たな経験が出来ることはとても有難いものです。

社会人こそ、ワークキャンプへの参加をおすすめします!

■ 国際ワークキャンプ(国内)

 『金澤農場ワークキャンプ』

 農作業未経験の私にとって、最初は戸惑うことも多くありましたが、有機農業の良さを金澤農場で知ることができました。そして、ワークキャンプで体験できたことは、楽しかったことも辛かったことも含めて、今も鮮明に思い出として蘇ってきます。キャンプでは、楽しいことばかりではないかもしれません。もちろん参加者との衝突もあるでしょう。しかし、衝突があるからこそ、価値観の違いを改めて考えさせられ、そこから学ぶことも多いはずです。ぜひ参加の一歩を踏みこんでみてください。きっと、ほかの何にも代えることのできない貴重な体験をされることでしょう

『小杉農場ワークキャンプ』(キャンプレポートからの抜粋)  

〈遊具作り〉

山に入りノコギリだけで、木を切りました。カンナやミノで木を整え、広場に子ども達が使う為の遊具の組み立て・取り付けを行いました。最後の3日間はキャンプ場の施設の修繕や補修を行いました。

  遊具の板の張り替えでは、狭いスペースの中、お互いで声を掛け合わなくても、距離を確認し、意思疎通ができていました。また海外の人達は経験したことない障子張挑戦して、日本の文化について語り合い一段と距離が縮まりました。

<オフ日・企画>

 「ビンゴ大会」は、皆でおおいに盛り上がりました。日本の文化などを知ってもらうため、史跡巡り・習字を行い、地域の盆踊りに参加しました。最終日の夜は、近所の人たちと森の中で打ち上げパーティーを行いました。ダンスや花火などをして最後の楽しい時間を過ごしました。キャンプ明けの次の日は、皆で「甲府大好き祭り」に行きました。夜は、カラオケに行き楽しく歌いました。その後は、小瀬に行き残っていた花火をしました。

  やはり国が違っても、面白いと感じる物は一緒でした。そしてお互いのことを気にしながら作業したり歩いたりしました。心と心が通じ合い皆で和となり最後は泣きました。

<キャンプを終え>

 このキャンプには、フランス・ロシア・セルビア・イタリア・ベルギー・韓国・マレーシア・日本から参加者が集まって、一つ屋根の下で2週間の生活を行いました。海外の現状や平和について話し合う時間もあり、教科書などには載っていない住民の体験談などが聞けました。やはり平和に対しての考え方はどこの国も同じであることを実感しました。英語スキルも上がったし、海外のかたがたも日本語スキルが上がったと言っていました。言葉が通じなくても、心と心で通じ合うことができました。日がたつにつれ心と心で通じ合うことが増え、一つになることができました。キャンプが終わってから、物に対しての扱い方が変わったし、いろいろなものの見方が変わりました。

『小杉農場夏季キャンプ』

 私は、以前から国際協力や異文化交流に対して関心があり、また姉がSCIの会員であることからこのキャンプを紹介してもらい、参加することになりました。

 今回のキャンプは例年のものとは少し違い、小杉農場での子供の遊び場作り作業のほかに、新潟大地震の復興ボランティアにも行かせていただけることになり、どんな人に出会えるのだろう、どんな経験ができるのだろうという期待と希望で胸がいっぱいでした。

 そしていざキャンプに行ってみると、やはり色々な国籍の方がいて、最初の1週間は言語や文化、考え方などの違いに戸惑い、困惑する場面も多々ありましたが、共同生活をしていくうちに、それらの違いをお互いに受け入れ、認め合えるようになってきました。

 また、新潟大地震の復興作業では、思うようには活動ができず、「ボランティア」というものの難しさを改めて実感したものの、そこから得ることができた学びや経験は、これからの私の人生においてとても大きなものになると思います。

 たった2週間という短い期間ではありましたが、みんなで過ごす毎日は、驚きや発見の連続で、私は小杉農場やそこで出会ったたくさんの魅力的な人たちが大好きになりました。

 英語が話せなくても大丈夫!コミュニケーションはどうにでもなります。新しい世界を見てみたい!というあなたはぜひぜひ小杉農場へ!☆

 そして最後になりましたが、このような素晴らしい経験をさせていただいて本当にありがとうございました。

■ 国際ワークキャンプ(海外)

『スイスでのワークキャンプ』

ャンプ名:Jardins de Cocagne ,Drize(Geneva)

 場所:スイス、ジュネーブ郊外の農場

 参加者数:8名(スイス、ロシア、チェコ、スペイン各1名、日本、ポーランド各2名)

 ワークキャンプが行なわれた農場は、30年前に作られた生産者と消費者の協同組合”Jardins de Cocagne”の農場です。組合員の数は約400名で、みなさんジュネーブやその近くに住んでいるそうです。農場では、野菜や果物を有機栽培で生産している他、しいたけの原木栽培をしたり、穫れたブドウでワインを作ったりもしています。収穫した野菜は毎週1回会員に届けられます。遠隔地に出荷するのではなく、生産したのと同じ地域で消費する『地産地消』が行なわれているのです。農場で専従で働いている人は6人いるのですが、その人達は農場に住んでいるのではなく、各自の家から毎日農場に通ってきて作業をしています。その他、組合員は年に2回以上農作業をする決まりになっているので、時々一般の組合員の方々も農作業のために農場に来ます。ワークキャンプ中は、そういう方々と一緒に作業をしていました。

 農場には、台所と食堂を兼ねた小屋がありますが、宿泊施設はありません。したがって、ワークキャンプ参加者は各自が持参したテントの中で寝袋にくるまって寝ていました。小屋にはガス(プロパン)や水道はあるのですが、電気が来ていないので、暗くなるとランプを使っていました。まさに、2週間の「キャンプ生活」を送っていたわけです。また、トイレやシャワーは屋外にあり、それぞれ“すだれ”でまわりを囲っただけの簡素な作りでした。トイレは地面に穴を掘って足をのせる板を置いてあるだけ、シャワーは冷たい水しか使えませんでした。そんな、今まで参加したワークキャンプの中で最も簡素な生活環境でしたが、僕自身にとってはそれで充分でした。もともとアウトドアレジャーや長旅が好きなので、テントで寝る夜が数週間続くのは苦にはならなかったし、毎日水シャワーしか浴びられないのも、長旅をしていれば当たり前にあることですから馴れたものです。むしろ、寝る時や自由時間に自分のテントでひとりで過ごす時間を持つことができて良かったと思います。

ワークの内容は農作業の手伝いです。主に草取りをしていましたが、手だけで草を取るのではなく、場所によって機械や道具をうまく使いながらやっていました。長時間手で草取りをやっていると、疲労が大きいだけでなく、腰が痛くなってくるものです。道具の活用によって、腰の痛みを軽減できてよかったと思います。日によっては、野菜の収穫や苗の植え付け、種まきをする日もありました。天気のいい日は屋外の畑で作業をし、たまに雨が降る日にはビニルハウスの中で作業をしていました。屋外での作業はいつも炎天下の作業となり、かなり暑かったので、常に水分補給を欠かさないようにペットボトルに水を入れたものをたくさん持って畑に行っていました。暑いのは大変でしたが、天気はいいし景色はいいし、気持ちのいいワークでした。

 ワークの時間は、月水が午前と午後4時間ずつ、火木金が午前4時間のみ、土日がお休みというスケジュールでした。農場からジュネーブの街まで近かったので、午後のワークがない日には、みんなでよくジュネーブに遊びに行きました。ジュネーブの古い街を歩いたり、植物園や博物館(無料)に行ったり、湖で泳いだり、フラメンコショーを観たり(無料)、カフェでおいしいビールを飲んだりしていました。夕食の後もまだ外が明るいので(日没が午後9時過ぎ)、何人かでサイクリングに行く事もありました。自転車で農村を走り回ったり、国境を越えてフランスへ行ったりしていました。ジュネーブのような素敵な街が近くにあったり、自転車が農場に7台もあったりと、いい条件が揃っていたおかげで、空いている時間を楽しく過ごせて良かったと思います。また、土曜日にはみんなでハイキングに行ったりとか、国連のヨーロッパ本部に見学に行ったりもしました。日曜はFree Dayとしてそれぞれ自由に行動していまいした。

 ワークキャンプ中の食事は、交替で毎日2人ずつ料理当番を担当して作っていました。穫れたての新鮮で美味しい野菜がいつでも豊富にあるし、パンやチーズや卵など農場の方が買って来てくれる食品もとても美味しものばかりでした。僕は食べなかったのですが、ウィンナーやハムなども皆さん美味しそうに食べていました。冷蔵庫はないのですが、それは問題ありませんでした。冷蔵庫はなくても生活は成り立つものです。毎日美味しい食事をたっぷりいただくことができて、とても幸せでした。木陰にテーブルが置いてあり、雨の時以外はいつも屋外で食事をしていましたので、気持ちよく食事をすることもできました。

ワークキャンプ中の使用言語は英語です。そのため、英会話の苦手な僕はけっこう苦労しました。ふたりきりで話をしているときはまだいいのですが、何人かで話していると、人が話している事が聞き取れなかったり、何を言っているのか理解できなかったりする事がよくありました。まあ、言葉が完璧にわからなくてもなんとか通じることもあるのですが、作業の手順など、きちんと理解しておかなければいけないような重要な事は、わかるまで聞き返したりしてはいました。1日中英語で過ごしているととても疲れてしまいます。そんな時の為にも、自分のテントに入ってひとりになる事ができてよかったと思います。

  有機農業というと、長時間労働でほとんど休みも取れない大変な仕事と思っていました。実際、僕の知っている有機農家の人達は、程度の差こそあれ、だいたいそういう傾向にあります。ですが、この農場で専従で働いている方々は、週5日しか働いてなく(土日は毎週休み)、1日の労働時間は8時間程度で、さらに、夏には交替で2週間ずつのバケーションを取るとのことです。有機農業も、単に生産技術にこだわるだけではなく、生産から流通、消費までをトータルに考え、工夫することが大切ではないかと思いました。

『オーストリアでのワークキャンプ』

 アルプスの山岳地での伝統的な酪農を維持していくことは多くの困難を伴います。伝統的な酪農家の方々は、夏の間は標高の高い(1,500~2,000m位)山の斜面にある牧草地に牛を放牧しています。山の中の牧草地は、きちんと手入れをしていないとどんどん雑木が伸びてきて茂みに覆われていき、やがて、何百年もの間維持してきた牧草地がなくなっていってしまいます。したがって、牧草地を維持していく為には、伸びてきた雑木を切って処分しなければなりません。多くの牧草地はとてもアクセスの悪いところにあり、多大な手間を必要とする上、伝統的な酪農はとても生産性が低く、また、牛乳や牛肉の価格が低いために経済的にキビシくなっています。そのせいか、山間部の放牧地はこの80年間で約半分に減ったとのことです。ですが、この伝統的な酪農は、地域の資源を有効に活用し、輸入飼料に頼らずに牛を飼育できる方法であります。そして、アルプスの美しい景観を守ることにも役立っているのです。僕たちは、このワークキャンプで牧草地を整備するお手伝いをすることによって、アルプスの伝統的な酪農を支援することができました。

 総勢27名の参加者が泊まるために用意していただいたのは、山の中腹(標高1,370m)にあるスキーリゾートのしゃれたペンションでした。3~4人ずつ泊まった客室には、それぞれシャワールームや洗面所、トイレが付いています。もちろん寝るのはベッド。客室の他には食堂やミーティングルームがあり、今まで参加したワークキャンプで泊まっていた所に比べると、贅沢過ぎるくらい豪華で、とても快適に過ごせました。ですが、ワークをする牧草地は1ヶ所ではなくあちらこちらにあり、その日によってワークの場所は替わります。ペンションから遠く離れた所で作業をする時は、その場所の近くにある小さな山小屋に泊まることもありました。山小屋では、寝るのは寝袋です。もちろんシャワーなんてありません。昼休みに川に遊びに行き、その時に冷たい水で体を洗ったりもしましたが、そういう川さえない場所もありました。ペンションに比べたら山小屋の方はとても簡素な所ですが、だからといってそれが苦痛なわけではなく、そういう生活の方がかえってワークキャンプっぽいような気もしました。

ワークは週4日で、土日の他に水曜か木曜がお休みでした。ワークそのものの時間は日によって違い、おおよそ5~8時間程度でしたが、とてもハードで大変な作業でした。その上ワークをする場所が標高1,500~2,000m位の所にありますので、僕たちは毎日そこまで歩いて往復しなければなりませんでした。日によっては、片道2時間もかかったこともあります。体に蓄積されていく疲労を考えると、ワークが週4日でよかったと思います。ワークの内容は、上記の通り牧草地の整備です。牧草地の中に伸びてきている雑木を農家の方々がチェーンソーでどんどん切っていきますので、僕たちはそれを集めて山積みにします。場所によっては、それに火をつけて燃やすこともありました。前半の1週間は天気の悪い日が多く、連日冷たい雨が降り、みぞれが降る中でワークする日もありました。後半の1週間は晴天に恵まれ、ワーク中も山からの眺めはとても素晴らしかったです。

 ペンション滞在中は、朝食と夕食は食堂でペンションの食事をいただきました。夕食は、オーストリアの伝統的な料理が中心でした。朝食の時に、昼食用に自分でパンにバターやジャムをぬったりチーズやハムをはさんだりしたものを作り、それを袋に入れて作業する場所まで持って行ってお昼に食べていました。山小屋に泊まった時は、農家の方々が作ってくれたものを食べていましたが、日によっては自分達で朝食を作ったりもしました。

 参加者はとても元気で体力のある人が多く、昼間あれだけハードに働いているにもかかわらず、毎晩飲み会をやったり、時にはナイトハイキングに行ったり、ワークのある日なのに朝食前に朝4時過ぎからハイキングに行ったりとかしていました。休みの日には、連日のハードワークで溜まった疲れを癒す為にリラックスして過ごしたり、ゲームに興じたりする事もありましたが、天気のいい日はハイキングに行ったりサッカーをしたりフリスビーで遊んだりと、体を動かしていることもありました。ワークキャンプの真ん中の土曜には、夕方から“International Lederhosenfest in Windisch-Garsten”(lederhosenとは、オーストリアの伝統的な民族衣装です)という『音楽とビールの地元の大きなお祭り』に行き、夜中の2時まで楽しんでいました。

 人里離れた山の中で、しかもハードワークだったにもかかわらず、嫌になる事なく2週間楽しく過ごすことができました。それは、

 ・ワークの目的と意義が理解でき、納得できることだった

 ・ハイキング、ゲーム、スポーツ、飲み会、お祭りなどのアクティビティが充実していた

 ・多くの仲間と共に過ごせた

ということがあったからだと思います。

■ 長期ボランティア

『アメリカ・マサチューセッツ州 North Plain Farmにて』

2007年8月9日午前5時。いよいよ日本帰国の日だ。

日中は常に15名ほどいるキッチンに私一人。いつも賑やかなNorth Plain Farm(以下NPF)が静けさに包まれるこの時間は、この1年間共に過ごした仲間たちとの思い出を振り返るのに最適だ。

「一年間、あっという間だった」

自閉症や難聴、癲癇といった障害を持つ7名と共同生活を送るNPFの朝は早い。私の場合、早起きの子のために毎朝5時半の起床から始まり、総勢15~20名分の三度の食事、掃除洗濯、各アクティビティーの参加をし、皆が寝付く夜の9時までと、とにかく座るヒマがない程だ。

サンクスギビングやクリスマスといった休暇時になると、他施設から数名のゲストもやってくる。笑い声の絶えない場所だ。

昨年度、NPFでの生活を始めたころは不安で意だった。

障害者の知識ゼロ、英語も下手、もともとはインドネシアに行きたかったのにと、「期待に胸膨らませて…」とは言える状態ではなく、「やるしかない!」という気持ちのほうが強かった。そんな中、私の意識を変えるきっかけになったのは、ある障害者の一言だった。

「ここにいて楽しい?」

その瞬間、目の前にある家事に追われ、ついつい眉間にシワがよっている自分に気づいた。ハッとした。

自分なりにNPFでの生活を楽しんでいるつもりだったのだが、やはりそれはあくまでも“つもり”。その子は私の眉間のシワを見て、自分が何かしてしまったと勘違いしていたのだ。その出来事までには数ヶ月間共に生活し、自分の態度ひとつで相手、特に世話をする障害者の精神状態が全く変わってしまうと身にしみて分かっていたのに、いつの間にかそれを忘れてしまっていた。早く仕事を終わらせなくては、と常にセカセカ動き、いつのまにか自分に余裕が持てなくなっていることに気づいた。

この一件の後、常に前のめりだった姿勢を少し後ろへ戻すように心がけることで、より自然な自分で生活することができ、また心にも余裕が持てるようにない。こうすることで以前よりも、彼らの生活上で今何を必要としているのかがすぐに分かり、その手助けをすることで更に彼ら障害者との信頼関係を気づくことができたのだ。

この一年間は私にとって、もっとも刺激的な年になった。異国の言葉・文化・生活様式・人々…全て私が知る日本とは全く異なる世界でのボランティア。壁にはぶち当たるし、つらいと思う事もある。しかしそ
れを解決しようと努力して得たものが、今の自分自身につながっていると思う。

これが最後ではなく、今後も国内・国外を問わず、積極的にボランティアに参加していきたい。

『スリランカでの長期ボランティア活動 』 .

 当時、大学3年生も終わりに近づいていた私は、発展途上国で1年間ぐらいボランティアをしたいと思い、そんな夢を叶えてくれる団体をインターネットで探していました。ただの学生で、発展途上国経験もない私を受け入れてくれるかは疑問でした。

 多くの団体が多額のお金を支払わなければそんな体験を提供してくれないことが、徐々に分かってきました。また、申し込んでも返事がない海外のNGOもいくつかありました。ようやく2ヶ月探した後に、サービス・シビル・インターナショナル(SCI)という団体に辿り着きます。折しも2004年のインド洋大津波が起こった後で、SCIスリランカ支部が津波の復興支援を行なっており、ボランティアを募集していたのです。SCIのワークキャンプの経験もない私でしたが、東京の事務局に行き、お話をして、派遣してくれることが決まりました。

  現地での10ヶ月間の復興支援ワークキャンプで出会った人々は世界15カ国からの50人ものボランティアの方々です。私はチルドレンプログラムを担当し、週に4回、難民キャンプ、自分が住んでいた村、小児病院でチルドレンプログラムを行いました。その他にもさまざまなワークを行いました。例えば、ヒンドゥー寺院の修復作業、難民キャンプのトイレの塗装、村の図書館や幼稚園の建て直しなどなど、これまで日本でやったことも、想像したこともない仕事ばかりです。

ワークキャンプ中の生活も今思い出してみると、不思議な気がします。最初は辛すぎて涙を流しながら食べていたスリランカのカレーが好きになっていったこと。給水車が運んでくる水を貯めたタンクの水を使って屋外で頭や体を洗っていたこと。スリランカ人も含めた世界中からのボランティアが隣のゴザで寝ていること。村人の家によくお茶を飲みに行っていたこと、挙げればきりがありません。

  自分の経験を振り返ってみて長期ボランティアの魅力はというと、その国の良いところも、あまり良くないと思うところも知ることができることや、住んでいた村が自分のふるさとの様になったこと、共に苦労した世界中のボランティアがきょうだいのような存在になったこと、SCIの平和の考え方を知ることができたことだと思います。

スリランカは20年に渡って紛争をしている国で、そんな中SCIスリランカ支部は平和運動を続けています。私の住んでいた村もSCIの復興支援ワークキャンプが行われる前はシンハラ人を見たことのないタミル人の村でしたが、このワークキャンプにシンハラ人のSCIメンバーも参加したことで、村人の中には「シンハラ人のイメージが変わった」「シンハラ人の友人ができた」という人もいました。この変化を10ヶ月のボランティア生活を通して見た私はSCIの言う「ワークキャンプという手段を通して一人ひとりが平和を築いていく人になる」という考え方があながち嘘ではないということを知りました。遠回りに見えても、市民の意識と行動で平和を築いていく必要があるというSCIの理念の必要性が分かった気がします。

  スリランカからの帰国後はというと、私は大学院への進学しました。スリランカに行く前は考えもしなかった選択肢でした。そしてSCIという運動にも引き続き関わっていこうと思います。